ジョイフル通信 vol.2 「切手の話」
2007-11-21 Wed 16:07
切手の話

 2007年12月の一連のコンサートのご案内及びチケット送付の封筒には、1997年までに発行された記念切手を使いましたが、皆様には、既にお気づきのことと思います。

 ある日、プロの切手収集家のご令嬢が、「クラシック音楽が好きだった父のコレクションを、洸太朗さんのファンの皆様に見ていただくだけで父も喜びますし、85歳の母もそれを望んでいます。ジョイフル・ミュージックさんで使っていただけないでしょうか。」と、様々な記念切手を見せてくださいました。その美しいことと面白いことにすっかり魅せられて、20年前にお亡くなりになったお父様の膨大なコレクションから、額面でお譲りいただき、ジョイフル・ミュージックで使わせていただくことになりました。

 中には人気の高いコレクションもあり、譲って欲しいとの声がジョイフル・ミュージックに届きました。そこで、皆さんに「平等の機会を」と思い、このような形でお話しさせていただくことにしました。

 1970年ぐらいから1987年までの切手なら、シリーズで、しかもシートで何種類も、今もきれいに保管なさっています。ただし、美術切手、国立公園等、お父様のご友人が大量に引き取っていかれ、既に在庫のないものもあるようです。

 皆様のご意見ご希望をお聞かせいただき、今後の参考にさせていただきたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。

joyfulmusic@lake.ocn.ne.jp

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ジョイフル通信
2007-08-20 Mon 17:48
7月19日から8月8日までの3週間、一年ぶりに洸太朗のヨーロッパでの活動を見てきました。その中から印象に残ったことをご紹介したいと思います。

【プロローグ】7月20日
私がベルリンに着いた翌日、洸太朗は、夕方から体調を崩し、夜中に39度の熱を出してしまいました。24日のカンヌのコンサートに向け、3日後にはニースに飛ぶことになっていたので、アスピリンで熱を抑え、2日間寝たものの、のどの痛みを抱えたまま、23日正午前にアパートを出ました。

【カンヌ音楽祭】7月23日〜25日
ホテルに着くと疲れてしまい、パリでいつもお世話になっているフランス人ご夫妻とのディナーの約束も、失礼する他ありませんでした。せっかくの機会でしたので、私だけご一緒させていただきました。

レストランで親しくお話しさせていただいた中で、もっとも私が嬉しかったことは、「洸太朗の演奏は、聴く人の心にちゃんと届くから、生涯応援していきたい」というお二人の言葉でした。

カンヌは映画祭で有名な土地。私たちにはヒルトンホテルの最上階の部屋が用意されていましたが、高級ホテルと有名ブランド店が海岸沿いにずらりと並び、カンヌ映画祭のメイン会場である「パレ・デ・フェスティバル」までも徒歩で数分の距離という最高のロケーションでした。
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演奏会当日の練習は、その「パレ・デ・フェスティバル」内のA講堂を使わせていただきました。建物の中には、A〜Lまで講堂があり、映画祭の時にはこれらの部屋を使ってたくさんの映画が上映されるのだろうなと想像しながら、誰もいない建物の中を一人で歩いて楽しみました。

夕方からは、演奏会の会場となる「ノートルダム・ド・レスペランス教会」に移動。前日ご一緒したご夫妻にもお会いし、日本から駆けつけたジョイフルのスタッフ(23歳の音大卒業生)にも会えて、開場を待っていました。演奏会場は、教会に併設された学校の中庭のようなところで、ステージの上には大きなテント(シート)が美しく張られ、いすが120席ほど並べてありました。ところが、その日は風が強く、特にその場所には強く吹いて開演が遅れ、開演時間の7時になっても会場とならず、本当に心配しました。主催者から「天気予報によると、7時半か8時には収まるということですが、このまま風が弱まらないようなら、今日のコンサートは中止になります。」と言われたときは驚きました。
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結局、少しずつ収まってきたので、演奏会は7時半に開演しました。偶然、洸太朗の服装が青いシャツに白のスーツだったので、頭上のテントの色とコーディネートしたように映え、聴衆は洸太朗がステージに出てくるなり喝采を送ってくれました。演奏会は1時間あまりの短めのものでしたが、お客様に大変喜んでいただきました。

【アルス・テラ音楽祭】7月26日〜27日
ピカルディー(北フランス)のアミアン(アミアン大聖堂で有名)に近い田舎町の教会で、第10回の記念の音楽祭。過去に出演したピアニストの内、主催者が選んだ10人の一人として弾かせていただきました。

主催者は、今年は天候が悪いせいかお客の入りが悪い、と落胆気味。南アフリカの奇跡がここでもとばかり、リハーサル時に武満徹の『雲』と『微風』を弾きました。一瞬青空が見え、太陽も・・・しかし、結局演奏会の頃にはまた霧雨が降り出してしまいました。

それでもこの日は、プログラムが足りなくなるほどお客が入り、主催者は大喜び。準備していったCDも完売しました。そして、翌日の別れ際に主催者から来年のオープニングの出演依頼を受け、「スケジュールさえ合えば、喜んで!」と、洸太朗も嬉しそうでした。

印象に残る思い出がもう一つ。教会の正面にあるお城(シャトー)でのディナーとランチに招かれたことです。城の主人は、すらりとした体の初老の紳士で、ジーンズにカラーシャツ、その上に白いジャケットという姿。威厳と品格を備えていながら横柄さは微塵もなく、侍従や料理人にさえ、常に「ありがとう」とねぎらいの声をかけます。その穏やかな振る舞いに私たちの緊張も解け、真にくつろいだ素晴らしい時間を過ごすことができました。
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右:お城のご主人様、中央:洸太朗の翌日に弾いたピアニストのニコラス

1歳半になるリトル・プリンス(お孫さん)のロイヤル・スマイルと子供らしく好奇心旺盛に走り回る愛らしい姿。洸太朗がちょっとピアノを弾くと、身動きもしないでじっと目を凝らして聴いてくれました。

お城は古い石造りの建物で、家具は高級だけれど歴史を感じさせ、無駄な贅沢は一切感じられない落ち着いた空間。テラスに出ると、小川が流れ森が続く、見渡す限り手入れの行き届いた広大な庭。出るのは、ため息ばかりでした。

【パリの思い出】7月27日〜30日
私にとっては2年ぶりのパリ。今回の目的の一つは再オープンしたオランジュリー美術館を訪れること。これまでの6回のパリ訪問の際は、いつも「改修中」の看板。がっかりを通り越して半ばあきらめの境地でした。

期待を胸にいざ美術館へ!モネの「睡蓮の間」(2室)は想像をはるかに超える美しさ。自然光が入るそれらの部屋は、モネ自身の設計によるもの。その数年後、ギヨームのコレクションが国に寄贈された際、光をふさいで2階に展示室を増築。長くそのままになっていたものを、現在の館長が就任した時、再改築を提案、実行。9年もかかってギヨームコレクションを地下の展示室に移し、「睡蓮の間」に光を戻しました。
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鑑賞を2時間余りも楽しんで、最後にもう一度モネを見ようと「睡蓮の間」に戻ったときでした。明るい光が差し込み、横12メートルの絵の端から色がさ〜っと変わっていく様を見た瞬間、涙が溢れ出してしまいました。モネさん、あなたは素晴らしい!館長さん、本当にありがとう!感動で胸を一杯にしたまま、美術館をあとにしました。

せっかくパリに来たので、洸太朗がパリ時代にお世話になった二人の大家さんにお会いしたかったのですが、一人はバカンスでアメリカに発つところでお目にかかれず残念でした。もう一人は、洸太朗が最初にお世話になった大家さん(日本人)で、美味しい昼食をご馳走になりました。

今から6年前、下宿の洸太朗の部屋にピアノが入った日のこと。彼女が仕事から帰って玄関をあけると、ピアノの音が聞こえてきました。その瞬間、家に生の音楽が流れる楽しさを始めて知り、嬉しさのあまり翌日のお昼に職場の仲間全員にコーヒーをご馳走したという、彼女の話は一生忘れられません。

その後、家を買い換え、現在はパリ郊外の大きな家に下宿生(すべて音楽学生)を3人も住まわせ、ご自分もピアノを習っていらっしゃいました。パリでの洸太朗の演奏会にはいつも駆けつけてくださる大切な方です。

【イタリア CIMA音楽祭】7月31日〜8月4日
モンテ・アルジェンタリオのCIMA音楽祭は、恩師マリー・フランソワーズ・ビュッケ先生の夫(声楽家)であるジョルジュ・シャミネ先生が主催する音楽祭。昨年に引き続き、今年も参加させていただきました。今年のテーマはスペイン音楽。会場が毎日変わり、それぞれに楽しさと味わいのある素晴らしいコンサートの連続。印象深かったのは、ナイジェリア出身の若いソプラノの女性(黒人、パリの学生)。派手さは無いけれど、心に響く素晴らしい声を聞かせてくれました。

その他にも、毎夜、たくさんの声楽家やピアニスト、弦楽器奏者や打楽器奏者などが出演し、音楽祭は大いに盛り上がっていました。驚くのは、9時半に始まり12時半に終わるというコンサートが続いたこと。ヨーロッパの人々のバカンスの楽しみ方は、日本人の私には理解不可能でした。と同時に、毎回、ジョルジュの発想の豊かさとヴァイタリティーには感服しっぱなしでした。
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ジョルジュたちの別荘のテラスでコンサート(この日も終演は12時過ぎ)

参加した数多くのピアニストの中で、洸太朗ただ一人がリサイタルをさせていただき、大変光栄でした。会場は、450年前に建てられたスペインの要塞の中庭。芝の上に直接コンサートグランドピアノが置かれ、海からは風、頭上には満天の星。夢のような時間が流れました。
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(コンサートで知り合ったイタリア人がメールで送ってくれた写真です。)

終演後、ジョルジュが、涙で潤んだ目で私たちを祝福してくれました。というのは、連日のコンサートの準備などで疲れがピークに達していたジョルジュは、昼間不運な事故が続きすっかり意気消沈していたのでした。洸太朗の後半のプログラム(アルベニス)に喜ぶお客さんたちの様子を見て、ジョルジュが最後にステージに躍り出て一言、「私は、スペイン人だが、洸太朗はもっとスペイン人だった。」と言って笑いとと喝采を誘っていました。

今回は、先生の別荘から離れたペンション(スペイン時代の家)の大きな部屋に泊めてもらいました。窓からは広い庭が見渡せ、ペンションの主人夫妻も気さくな良い人たちでした。私は、同じペンションに泊まっていたこの音楽祭の創始者の一人であるイギリスのレディーと仲良くなり、来年のロンドンデビュー(ウィグモアホール)の際は彼女の家に泊めていただく約束をしました。
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ペンションの夫妻と。

帰り際に、これからベネチアで2泊してベルリンに帰ると言うと、ペンションの主人が、ベネチアの友人に連絡をしておく、と親切に言ってくださいました。

【ベネチアの思い出】8月5日〜6日
コンサートをすべて終え、旅行の最後の2日間はベネチアで過ごしました。市内には車もオートバイも自転車も走らない「水の都ベネチア」。モーターボートがタクシー代わり、大型船も運航していました。有名なゴンドラは今は観光客用のみだそうです。
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リアルト橋の前で。

モンテ・アルジェンタリオのペンションの主人が約束どおり連絡をしてくれていて、元大使の老紳士が、半日市内を案内してくれました。念願のゴンドラに乗ったとき、その静かさと心地よさに、ずっとこのまま乗っていたいと思ったほど。細い運河を、歩くよりも遅くゆったりと進むゴンドラ。どんな狭い曲がり角でも決してどこにもぶつけない船頭(ゴンドリエーレ)の腕に驚嘆。往路で1艘のゴンドラとすれ違ったとき、そのゴンドリエーレは自慢の声で歌を歌っていました。私たち日本人を見るなり、「やぎりの〜わた〜し〜」。私たちはびっくり、そして爆笑!復路で再びすれ違った際は、「さくら〜さくら〜」と一声。愉快な思い出になりました。
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元大使とゴンドリエーレと。

ベネチアでもう一つ私が楽しみにしていたのは古本屋。元大使の老紳士に案内されて大きな店に入りました。うわさに聞いていた通り、様々な本が平積みに重ねられていて、店の主人に本を探してほしいと言うと、広い店内の本の山々の中から一瞬で探し出してくれるのです。また、思いがけない本に出会うこともここでの楽しみ方の一つ。もっともっと居たかったのですが、1時間半ほどで切り上げねばなりませんでした。

【エピローグ】8月7日〜8日
2週間の演奏旅行を終えベルリンに戻ったとき、私は相当疲れていました。洸太朗はリハーサルと本番のステージもあったのですから、もっと疲れていたに違いありません。「こんなに大変な生活をずっと続けるの?」と、思わず聞いてしまいました。「でも、毎回、いろんな感動に出会えて素晴らしい仕事だよ。」と、洸太朗は言い切りました。その言葉に安心して、私はせっせと1年分(?)の部屋の掃除をして、思い残すことなくベルリンを発ち、帰国の途に着きました。

長い長い旅行記になってしまいました。読んでくださった皆さんに感謝します。ありがとうございました。

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