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2007-06-19 Tue 17:30
2007年1月〜3月の日記
2006年12月以前の日記 ♪コモ湖国際ピアノアカデミー、バシュキロフ先生(4〜6日) 昨年10月にも見ていただいたディミトリ・バシュキロフ先生の講習会を受けに再びコモ湖へ行った。気候が穏やかになったせいか、観光客が増えた気がした。でも、講習会が行われるドンゴは、市の中心からかなり離れたところにある田舎なので、いつもと変わらずのどかだった。 着いたその日に僕のレッスンがあったが、先生の威勢の良さを前にして、旅の疲れなど言っている場合ではなかった。前回より先生の感情の起伏が激しく、レッスン中に笑顔で指揮していたかと思えば、突然怒鳴り声も上げたりしていた。納得が行くまで妥協を許さない姿勢は、ヘルヴィッヒ先生の教えに通じるところがあるが、怒鳴るようなレッスンは、僕にとって新鮮だった。 旧ソビエト時代の厳しい教えの下、家族のため、さらには国家のために命をかけてピアニストを目指し、ヒステリーを起こすほど細部にまで神経を行き渡らせて練習する学生がコンクールで優勝し、沢山世に出ていった。先生もそのお一人だったのだろうか、とふと思いを巡らせた。 素晴らしい音楽家を育てる方法はそれだけではないと思うが、演奏家には体力的にも精神的にも想像以上の強さが求められる。今回のレッスンでそれを身に沁みて感じた。 ![]() 何度見ても美しいコモ湖 ♪講演会「ヴィルトゥオーゾ」(12日) ベルリンフィルハーモニーの隣にある楽器博物館では、毎月楽器を使ったレクチャーが行われる。この度、ヘルヴィッヒ先生の友人フォン・ルッシュ先生がピアニストのヴィルトゥオーゾ(超絶技巧)をテーマにした講演会をするということで、ヘルヴィッヒ先生の門下生5人が出させていただいた。メンバーをざっと紹介すると、2005年ヴィオッティコンクールで優勝された先輩の加野瑞夏さん、僕と同じようにベルリンに来る前パリ音楽院でリグット先生に師事していたフランス人のニコラ・ブランギエ、今年のNYヤングアーチストコンクールで優勝したベンヤミン・モーザー、そして3月に卒業したばかりのハルディ・リットナー。 演奏前にレクチャーがあったので、残念ながら講演自体を聞くことはできなかった。配られたプリントを見ると、カール・ツェルニー(ベートーヴェンの弟子、リストの教師)が述べた『ヴィルトゥオーゾの特性』が書かれてあった。おおまかに訳すと、「ヴィルトゥオーゾの特性は、1.明確で力強い(音量ではなく)タッチによって輝かしい音を出すこと、2.全ての音が聴ける範囲の速いスピードで流暢に弾くこと、3.どのような困難なパッセージでも清潔にミスなく弾くこと、4.大舞台でもこれらのことを一貫して守れるしなやかな精神力を持つこと(これは練習量だけでは得られない)」、とあった。僕たちはピアノのない待合室の中で待機しなければならなかったので、皆でこれについて論議して面白かった。中でも、「3の“ミスなく”というのは無理だ」、と全員意見が一致したのは可笑しかった。そうこうしているうちに本番が来て、それぞれが超絶技巧の曲を弾いた。(僕はスカルラッティのソナタ2曲、リストのハンガリー狂詩曲第12番とアンコールにクライスラー=ラフマニノフの愛の悲しみを弾いた)ツェルニー氏が聴いたらどう思われたか分からないが、客席は大いに盛り上がり、楽しい会となった。 ![]() 終演後全員で。左からリットナー、僕、モーザー、ブランギエ、加野さん ♪フィッシャー・ディスカウ氏の公開レッスン(18〜20日) 僕の通うベルリン芸術大学では、毎学期に一回各教授の公開レッスンが行われる。(そのレッスンを他のクラスの生徒が受けられるというのは非常に珍しいシステムだと思う) 世界的に有名なテノール歌手、フィッシャー・ディスカウ先生が公開レッスンをしていたので、見学しに行った。日本で師事していた井桁先生の勧めにより、彼の歌うシューベルトをCDでよく聴いていた。そのディスカウのマスタークラスを無料で聴けてしまう、というのも考えてみれば凄いと思った。殆どの生徒が先生のお得意とするドイツリートを歌っていて、発声・発音・フレージングなどを注意されていた。伴奏ピアニストにも指示を出していて、テンポの取り方など勉強になった。それにしても先生の舞台上での存在感、ちょっと歌った時の深い声は、素晴らしかった。 ![]() 学校のテアターザールにて。右端がディスカウ氏 ♪小澤征爾さんカムバック (22日) アメリカに発つ前日、どうしても聴きたいコンサートがあって行ってきた。小澤征爾さん指揮ベルリンフィル公演、しかも前半は僕の好きなフランス人ピアニスト、ピエールローラン・エマールさんによるベートーヴェンのピアノ協奏曲第2番だった。昨シーズン体調不良のためウィーンオペラ座の公演を全てキャンセルし、入院されていたこともあり、心配していたが、この度見事に復帰された。ポディウムプラッツという、舞台上の指揮者と向かい合う席だったので、彼の指揮を細かく見ることができた(ピアノの音は少し遠くに聞こえて残念だったが)。後半に弾いたブルックナーの第2番交響曲は70分を超える長大な曲だが、情感と情景の豊かな演奏で引き込まれ、短く感じた。 終演後数人の友人と一緒に楽屋を訪れ、小澤さんを祝福した。僕は3年前にパリでお会いしていたのだが、その時紹介してくださった当時僕の大家さんだったフランソワーズ・クセナキスさんの名前を出すと、「あぁ、覚えているよ。」と言ってくださり、とても嬉しかった。 今後もお体に気をつけられて、末永く活躍していただきたいと思う。 ♪アイダホの思い出 (28、29日) 2年ぶりにアイダホフォールズシンフォニーと共演した。このオーケストラはアマチュアで、メンバーの殆どが趣味で音楽をやっている人たちだ。練習回数が少ない上に、全員が揃っての合わせ練習はほぼ不可能に近いらしい。2年前のチャイコフスキー第1番協奏曲の時もリハーサルでは相当苦労した。しかし、皆さん音楽を愛する気持ちと向上心を持っているので、成長が早い。本番は楽しく弾けたので、今回も楽しみにしていた。 26日に最初のリハーサルが行われた。曲は、僕がクリーヴランドコンクールで弾いた、思い出深いブラームスの第1番。尊敬する友人ロベルト・シューマンが精神病に侵されライン川に投身したと聞き、憤りを感じて書いたという劇的なピアノ協奏曲、ピアノはもちろんオーケストラにとっても難曲と言えるだろう。始まって直ぐに、オーケストラの想像以上の練習不足が分かった。特に、3楽章の最も難関なフーガは、それぞれの楽器の出だしが合わず、一度も通して弾けずに終わってしまった。指揮者のジョージさんがため息をついて僕に謝ってきた。僕は内心の不安を隠し、「皆がベストを尽くせばきっとできるはずです。あきらめずに頑張りましょう。」と励まし、他に気になった箇所をいくつか指摘した。 翌々日の2回目の合わせ(ドレスリハーサル)は、場所を変えて公開にすることを事前に聞いていた。それがまさか800人のお客が入るちゃんとしたコンサートだったとは!一体どんなことになるのだろうか、と僕は控え室で落ち着かなかった。演奏が始まり、1楽章、2楽章とオーケストラの小さなミスはありながらも何とか進行した。例の3楽章のフーガが近づくと、僕の心臓は破裂しそうなくらいドキドキしてきた。僕自身は弾かない部分なので、ただ祈るしかなかった。・・・その祈りが通じたのか、奇跡的に止まらずに全てのパートが正しい場所で入れたのだ!僕はフーガが終わると思わず「ブラボー」とささやいた。曲はどんどん高揚し、ピアノのカデンツを経て曲が短調から長調へと入り、僕の気持ちもそれに並行してマイナスからプラスへ急上昇していくようだった。演奏を終えると、客席も盛り上がり、皆達成感に満ちていた。 家に帰って、ホストファミリーが録ってくださったビデオを見てみると、ところどころ僕の不安な心情が演奏に現れていた。このことを反省し、翌日の本番では、オーケストラを信じ最初から自分のパートに集中し、心から歌って弾いた。そのせいか自然とオーケストラの音も良くなり、より充実したアンサンブルになったと思う。やはり、ソリストにはオーケストラを引っ張るくらいの気持ちの余裕、そして豊かな表現が求められるのだ、ということを学んだ。 幸運にも指揮者からカムバックを求められ、大好きなファリャの「スペインの夜の庭」を二年後に共演させていただくことになった。 ![]() 会場の表にある看板に、オーケストラと僕の名前が…あれ? ![]() ボイジーから駆けつけてくれた友人達と 余談:今回もアイダホの僕の父親的存在、テリーおじさん宅に滞在した。テリーさんの大胆不敵なふるまいは健在だったが(日記2005年5月参照)、前より優しくなられた感じがした。奥さんのフィリスさんが言うには、数年前から耳が悪くなっていて、はじめはコミュニケーションに苦労し不機嫌になりがちだったが、性能の良い補聴器をつけ周囲の理解を得るようになってから、ずいぶん機嫌がよくなったそうだ。今回も植物や鳥などの説明を受け、殆ど名前を覚えていなかった僕だったが、叱られるどころか、笑って済まされた。またある時は、戦争についてテリーさんが語りだし、彼のグローバルな考え方や、人情味溢れる一面を垣間見て、より尊敬の念が増した。 二年後にまたお会いできるのが楽しみだ! |
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