ジョイフル通信
2007-08-20 Mon 17:48
7月19日から8月8日までの3週間、一年ぶりに洸太朗のヨーロッパでの活動を見てきました。その中から印象に残ったことをご紹介したいと思います。

【プロローグ】7月20日
私がベルリンに着いた翌日、洸太朗は、夕方から体調を崩し、夜中に39度の熱を出してしまいました。24日のカンヌのコンサートに向け、3日後にはニースに飛ぶことになっていたので、アスピリンで熱を抑え、2日間寝たものの、のどの痛みを抱えたまま、23日正午前にアパートを出ました。

【カンヌ音楽祭】7月23日〜25日
ホテルに着くと疲れてしまい、パリでいつもお世話になっているフランス人ご夫妻とのディナーの約束も、失礼する他ありませんでした。せっかくの機会でしたので、私だけご一緒させていただきました。

レストランで親しくお話しさせていただいた中で、もっとも私が嬉しかったことは、「洸太朗の演奏は、聴く人の心にちゃんと届くから、生涯応援していきたい」というお二人の言葉でした。

カンヌは映画祭で有名な土地。私たちにはヒルトンホテルの最上階の部屋が用意されていましたが、高級ホテルと有名ブランド店が海岸沿いにずらりと並び、カンヌ映画祭のメイン会場である「パレ・デ・フェスティバル」までも徒歩で数分の距離という最高のロケーションでした。
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演奏会当日の練習は、その「パレ・デ・フェスティバル」内のA講堂を使わせていただきました。建物の中には、A〜Lまで講堂があり、映画祭の時にはこれらの部屋を使ってたくさんの映画が上映されるのだろうなと想像しながら、誰もいない建物の中を一人で歩いて楽しみました。

夕方からは、演奏会の会場となる「ノートルダム・ド・レスペランス教会」に移動。前日ご一緒したご夫妻にもお会いし、日本から駆けつけたジョイフルのスタッフ(23歳の音大卒業生)にも会えて、開場を待っていました。演奏会場は、教会に併設された学校の中庭のようなところで、ステージの上には大きなテント(シート)が美しく張られ、いすが120席ほど並べてありました。ところが、その日は風が強く、特にその場所には強く吹いて開演が遅れ、開演時間の7時になっても会場とならず、本当に心配しました。主催者から「天気予報によると、7時半か8時には収まるということですが、このまま風が弱まらないようなら、今日のコンサートは中止になります。」と言われたときは驚きました。
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結局、少しずつ収まってきたので、演奏会は7時半に開演しました。偶然、洸太朗の服装が青いシャツに白のスーツだったので、頭上のテントの色とコーディネートしたように映え、聴衆は洸太朗がステージに出てくるなり喝采を送ってくれました。演奏会は1時間あまりの短めのものでしたが、お客様に大変喜んでいただきました。

【アルス・テラ音楽祭】7月26日〜27日
ピカルディー(北フランス)のアミアン(アミアン大聖堂で有名)に近い田舎町の教会で、第10回の記念の音楽祭。過去に出演したピアニストの内、主催者が選んだ10人の一人として弾かせていただきました。

主催者は、今年は天候が悪いせいかお客の入りが悪い、と落胆気味。南アフリカの奇跡がここでもとばかり、リハーサル時に武満徹の『雲』と『微風』を弾きました。一瞬青空が見え、太陽も・・・しかし、結局演奏会の頃にはまた霧雨が降り出してしまいました。

それでもこの日は、プログラムが足りなくなるほどお客が入り、主催者は大喜び。準備していったCDも完売しました。そして、翌日の別れ際に主催者から来年のオープニングの出演依頼を受け、「スケジュールさえ合えば、喜んで!」と、洸太朗も嬉しそうでした。

印象に残る思い出がもう一つ。教会の正面にあるお城(シャトー)でのディナーとランチに招かれたことです。城の主人は、すらりとした体の初老の紳士で、ジーンズにカラーシャツ、その上に白いジャケットという姿。威厳と品格を備えていながら横柄さは微塵もなく、侍従や料理人にさえ、常に「ありがとう」とねぎらいの声をかけます。その穏やかな振る舞いに私たちの緊張も解け、真にくつろいだ素晴らしい時間を過ごすことができました。
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右:お城のご主人様、中央:洸太朗の翌日に弾いたピアニストのニコラス

1歳半になるリトル・プリンス(お孫さん)のロイヤル・スマイルと子供らしく好奇心旺盛に走り回る愛らしい姿。洸太朗がちょっとピアノを弾くと、身動きもしないでじっと目を凝らして聴いてくれました。

お城は古い石造りの建物で、家具は高級だけれど歴史を感じさせ、無駄な贅沢は一切感じられない落ち着いた空間。テラスに出ると、小川が流れ森が続く、見渡す限り手入れの行き届いた広大な庭。出るのは、ため息ばかりでした。

【パリの思い出】7月27日〜30日
私にとっては2年ぶりのパリ。今回の目的の一つは再オープンしたオランジュリー美術館を訪れること。これまでの6回のパリ訪問の際は、いつも「改修中」の看板。がっかりを通り越して半ばあきらめの境地でした。

期待を胸にいざ美術館へ!モネの「睡蓮の間」(2室)は想像をはるかに超える美しさ。自然光が入るそれらの部屋は、モネ自身の設計によるもの。その数年後、ギヨームのコレクションが国に寄贈された際、光をふさいで2階に展示室を増築。長くそのままになっていたものを、現在の館長が就任した時、再改築を提案、実行。9年もかかってギヨームコレクションを地下の展示室に移し、「睡蓮の間」に光を戻しました。
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鑑賞を2時間余りも楽しんで、最後にもう一度モネを見ようと「睡蓮の間」に戻ったときでした。明るい光が差し込み、横12メートルの絵の端から色がさ〜っと変わっていく様を見た瞬間、涙が溢れ出してしまいました。モネさん、あなたは素晴らしい!館長さん、本当にありがとう!感動で胸を一杯にしたまま、美術館をあとにしました。

せっかくパリに来たので、洸太朗がパリ時代にお世話になった二人の大家さんにお会いしたかったのですが、一人はバカンスでアメリカに発つところでお目にかかれず残念でした。もう一人は、洸太朗が最初にお世話になった大家さん(日本人)で、美味しい昼食をご馳走になりました。

今から6年前、下宿の洸太朗の部屋にピアノが入った日のこと。彼女が仕事から帰って玄関をあけると、ピアノの音が聞こえてきました。その瞬間、家に生の音楽が流れる楽しさを始めて知り、嬉しさのあまり翌日のお昼に職場の仲間全員にコーヒーをご馳走したという、彼女の話は一生忘れられません。

その後、家を買い換え、現在はパリ郊外の大きな家に下宿生(すべて音楽学生)を3人も住まわせ、ご自分もピアノを習っていらっしゃいました。パリでの洸太朗の演奏会にはいつも駆けつけてくださる大切な方です。

【イタリア CIMA音楽祭】7月31日〜8月4日
モンテ・アルジェンタリオのCIMA音楽祭は、恩師マリー・フランソワーズ・ビュッケ先生の夫(声楽家)であるジョルジュ・シャミネ先生が主催する音楽祭。昨年に引き続き、今年も参加させていただきました。今年のテーマはスペイン音楽。会場が毎日変わり、それぞれに楽しさと味わいのある素晴らしいコンサートの連続。印象深かったのは、ナイジェリア出身の若いソプラノの女性(黒人、パリの学生)。派手さは無いけれど、心に響く素晴らしい声を聞かせてくれました。

その他にも、毎夜、たくさんの声楽家やピアニスト、弦楽器奏者や打楽器奏者などが出演し、音楽祭は大いに盛り上がっていました。驚くのは、9時半に始まり12時半に終わるというコンサートが続いたこと。ヨーロッパの人々のバカンスの楽しみ方は、日本人の私には理解不可能でした。と同時に、毎回、ジョルジュの発想の豊かさとヴァイタリティーには感服しっぱなしでした。
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ジョルジュたちの別荘のテラスでコンサート(この日も終演は12時過ぎ)

参加した数多くのピアニストの中で、洸太朗ただ一人がリサイタルをさせていただき、大変光栄でした。会場は、450年前に建てられたスペインの要塞の中庭。芝の上に直接コンサートグランドピアノが置かれ、海からは風、頭上には満天の星。夢のような時間が流れました。
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(コンサートで知り合ったイタリア人がメールで送ってくれた写真です。)

終演後、ジョルジュが、涙で潤んだ目で私たちを祝福してくれました。というのは、連日のコンサートの準備などで疲れがピークに達していたジョルジュは、昼間不運な事故が続きすっかり意気消沈していたのでした。洸太朗の後半のプログラム(アルベニス)に喜ぶお客さんたちの様子を見て、ジョルジュが最後にステージに躍り出て一言、「私は、スペイン人だが、洸太朗はもっとスペイン人だった。」と言って笑いとと喝采を誘っていました。

今回は、先生の別荘から離れたペンション(スペイン時代の家)の大きな部屋に泊めてもらいました。窓からは広い庭が見渡せ、ペンションの主人夫妻も気さくな良い人たちでした。私は、同じペンションに泊まっていたこの音楽祭の創始者の一人であるイギリスのレディーと仲良くなり、来年のロンドンデビュー(ウィグモアホール)の際は彼女の家に泊めていただく約束をしました。
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ペンションの夫妻と。

帰り際に、これからベネチアで2泊してベルリンに帰ると言うと、ペンションの主人が、ベネチアの友人に連絡をしておく、と親切に言ってくださいました。

【ベネチアの思い出】8月5日〜6日
コンサートをすべて終え、旅行の最後の2日間はベネチアで過ごしました。市内には車もオートバイも自転車も走らない「水の都ベネチア」。モーターボートがタクシー代わり、大型船も運航していました。有名なゴンドラは今は観光客用のみだそうです。
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リアルト橋の前で。

モンテ・アルジェンタリオのペンションの主人が約束どおり連絡をしてくれていて、元大使の老紳士が、半日市内を案内してくれました。念願のゴンドラに乗ったとき、その静かさと心地よさに、ずっとこのまま乗っていたいと思ったほど。細い運河を、歩くよりも遅くゆったりと進むゴンドラ。どんな狭い曲がり角でも決してどこにもぶつけない船頭(ゴンドリエーレ)の腕に驚嘆。往路で1艘のゴンドラとすれ違ったとき、そのゴンドリエーレは自慢の声で歌を歌っていました。私たち日本人を見るなり、「やぎりの〜わた〜し〜」。私たちはびっくり、そして爆笑!復路で再びすれ違った際は、「さくら〜さくら〜」と一声。愉快な思い出になりました。
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元大使とゴンドリエーレと。

ベネチアでもう一つ私が楽しみにしていたのは古本屋。元大使の老紳士に案内されて大きな店に入りました。うわさに聞いていた通り、様々な本が平積みに重ねられていて、店の主人に本を探してほしいと言うと、広い店内の本の山々の中から一瞬で探し出してくれるのです。また、思いがけない本に出会うこともここでの楽しみ方の一つ。もっともっと居たかったのですが、1時間半ほどで切り上げねばなりませんでした。

【エピローグ】8月7日〜8日
2週間の演奏旅行を終えベルリンに戻ったとき、私は相当疲れていました。洸太朗はリハーサルと本番のステージもあったのですから、もっと疲れていたに違いありません。「こんなに大変な生活をずっと続けるの?」と、思わず聞いてしまいました。「でも、毎回、いろんな感動に出会えて素晴らしい仕事だよ。」と、洸太朗は言い切りました。その言葉に安心して、私はせっせと1年分(?)の部屋の掃除をして、思い残すことなくベルリンを発ち、帰国の途に着きました。

長い長い旅行記になってしまいました。読んでくださった皆さんに感謝します。ありがとうございました。

ご意見、ご感想などは→ジョイフル・ミュージック








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♪コモ湖国際ピアノアカデミー、シュタイアー先生(6月25〜27日)
2007-08-13 Mon 02:28
正味1週間のスペイン旅行を終え、24日にマドリッドからミラノへ飛んだ。
飛行機搭乗時に思わず、これからコモ湖で教わるアンドレアス・シュタイアー先生にばったり出くわした。今バロック・古典の分野で最も注目されているピアニストの一人で、僕もベルリンのコンサートプログラムで何度も名前を見た。彼は今回、マドリッドでのリサイタル後、束の間の休息も兼ねてコモ湖にいらしたようだ。
レッスンは当然バロック・古典ものが良いだろうと思い、バッハの協奏曲を用意していたのだが、先生は、「現代のピアノでバッハの協奏曲を聴くのはあまり好きじゃないな」と仰った。確かに、チェンバロとバロックオーケストラ(楽器も違う)のために書かれているので、音の響きがかなり違ってしまう。それでも、興味深いレッスンをしていただいた。スカルラッティのソナタ1番では、作曲者の人生背景が曲の端々に投影されているかのような解釈をされ、先生の発想の豊かさに度肝を抜かれた。

コモ湖では、天気の良い日は湖畔で皆でピクニックをしたり、毎度のことながら先生を宿舎に呼んで生徒たちの手作りディナーをご馳走し、楽しく過ごした。早いもので、これでアカデミーの一年目が終了するが、また来年も時間がある時に参加したいと思う。
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♪スペイン旅行(6月18〜23日)
2007-08-13 Mon 02:24
今月の後半モスクワで行われるチャイコフスキーコンクールにおいて、ヘルヴィッヒ先生が審査員を務める関係で、レッスンがない。これを機にアルベニスの音楽をより深く追求するために、僕はスペインをまた旅行した。(前回の旅行記は日記06年2月参照)

はじめにバルセロナを訪れ、18、19日と今回は2日に渡ってアリシア・デ・ラローチャさんのレッスンを受けた。イベリア第4集とラ・ベガ、ナヴァーラなどを聴いていただいた。ラ・ベガ(沃野)はあまり知られていないが、幻想的で非常に美しい曲だ。ラローチャさんもお気に入りのようで、始終メロディーを歌っていらした。その歌声が以前よりか細く聴こえ、痛々しかった。レッスンでは、曲中の多声部に分かれて複雑にメロディーが交差するところなど、どのラインを耳で追っていけばよいのか教えていただき、大変勉強になった。

20、21日はピカソの生地マラガを訪れた。
ここでは、友人ピアニストのアルフォンソにお世話になった。彼の勧めで民族博物館(Museo de artes populares)へ行き、マラガ地方の歴史・文化を学んだ。非常に落ち着いた趣の美術館で、訪問者も少なく、中庭は綺麗に花で飾られていた。15世紀以降の人々が使用していた農・工具、陶器、衣装、そしてフラメンコや闘牛の絵やミニチュアなどが展示され、大いに楽しんだ。そのあとは、アルカサバ、ヒブラルファロ城に行って、丘の上からマラガ市を一望した。

その日の夕方、バスに乗り、ロンダの街に向かった。ロンダは、小さな街だが魅力に溢れていた。ヌエボ橋によってつながれた渓谷は息を呑むほどの絶景だった。そこを渡ると旧市街が広がり、沢山の小さな美術館が並んでいた。
そのうちの一つ、ララ美術館の前を通り過ぎる時、ふと「Flamenco」の文字が目に入り、よく見るとその夜9時半から美術館内でフラメンコの公演があることが分かった。なんと運が良いのだろう。僕はその日、初めて本場のフラメンコを観ることができた。
美術館の地下にあるスペースに舞台を設け、3人の踊り手(うち男性一人)、歌い手二人、ギタリストが一時間半のショーを繰り広げた。ダンサーの歯切れの良いステップ、優雅な上半身の動き、そして感情豊かな表情に圧倒された。また音楽も素晴らしく、自分が弾くアルベニスの音楽へのインスピレーションを得た。(ちなみに料金はドリンクつきで23ユーロだった。)

本来はロンダを訪れたあと、セビリアに行ってフラメンコを見ることも考えていたのだが、既に目的は達成され満足していたし、3日間ピアノが弾けず欲求不満になってきたので、予定を変更し電車でマドリッドに向かった。ここならピアノを弾く場所が見つかるだろうと思ったからだ。
しかし、実際にはそう簡単には行かなかった。最初はホテルからすぐ近くにあったマドリッドの音楽院へ行ったが、セキュリティが厳しく、門前払い。一番頼りにしていたマドリッド郊外のヤマハアッセンには電話がつながらなかったので、市内にある楽器店をイエローページで見つけて近場にあるものを直接訪ねてみた。だが、どこも販売が専門で、練習用には貸してくれなかった。
ソル広場の近くにあるヤマハ楽器店に聞くと、レンタルで練習できる場所を教えてくれた。朝の9時にホテルを出たが、既に昼の12時を回っていた。その日は土曜日だったため、その場所は午後2時までしかやっておらず、結局2時間弱しか練習できなかった。
食べて一息入れ、マドリッド内を散歩した。かなり暑くなっていたので、ティッセン・ボルネミッサ美術館に入り涼むことにした。丁度氷山の写真の展覧会があったので、十二分に涼しさを味わった(笑)。夕方になり、またピアノが弾きたい衝動に駆られ、必死に可能性を考えた。

そこで思いついたのは、去年友人のディエゴが連れて行ってくれたレストランだ。そこのオーナーはピアノが大好きで(ディエゴに習っているそうだ)、お店にアップライトピアノが置いてあったのを思い出した。一か八かで、この時期マドリッドにいないと事前に聞いていたディエゴの携帯に電話した。すると運よく連絡が取れ、お店の場所を教えてくれた。Mayor広場近くのPasa通りにある、ということだけ聞いてあとは執念でそのレストランを探し出した。
中に入ると、知らない顔のウェイトレスが何人かいて、オーナーに会いたいことを伝えた。すると、厨房からペドロ(オーナーの名前)が現れた。一瞬時間がかかったが、「あー、ディエゴの友達の!」と僕のことを思い出してくれた。事情を説明すると、「君が弾きたいだけピアノを弾いてくれ!」と言ってくださり、それまでかかっていたBGMも止めてくださった。
料理を注文し、待っている間ピアノを弾き、食べて、また弾いたりした。日本人の若者がピアノを弾くということで、もの珍しいと思ったのだろう、そのうちに外で食べていた人たちが中に入ってきて、ピアノの周りに座り出し、いつの間にか演奏会のようになっていた…!弾く曲がほとんどアルベニスだったので、人々にも気に入ってもらえたようだ。
最後まで演奏を聴いてくれたおじさんグループにビールとおつまみをおごってもらい(そのうちの一人は声楽家でオペラのアリアを僕が伴奏したりした)、結局ペドロにも感謝され、僕の注文したご馳走も全部おごって頂いた。スペイン人の寛大さとノリの良さに、胸が熱くなった。

僕はふと、アルベニス自身が若い頃、国内を旅し、バーやレストランで弾いてお金を貯めていた、ということを思い出し、作曲者と同じような体験をしているようで感慨深い思いだった。
そして「ピアノを求めて三千里」、とまではいかないが、僕の苦労はこのように思ってもみなかった形で報われた。また、この日一日で多くの人と話したこともあり、スペイン語も少し上達した気がした。
この思い出は、生涯忘れられないだろう。
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♪パリ滞在 (6月5〜17日)
2007-08-13 Mon 02:03
半年ぶりにパリに来た。
今回は僕の元大家&笑いの師匠、フランソワーズ・クセナキスさん宅にお世話になったが(日記06年12月参照)、家のことで少し大変なことがあった。オルリー空港から彼女に電話すると、「昨日から家の中工事していてちらかっているけれど、あなたの部屋は大丈夫よ。今夜はオペラを観に行くから帰りは遅くなるわ。勝手に冷蔵庫の中のものを食べておいてね。」と言われた。
少々不安を抱きつつ家に着き、玄関に入ると、他の部屋から移してきた大量の家具・荷物が散乱し、スーツケースを持ち上げないと通れない状態だった。工事というのは床を平らにすることだったようで、僕が部屋に入った時、作業員がまだニス塗りをしていた。僕の部屋はその大部屋の上側にあるメゾネットだったので、下から舞い上がった埃でまみれていた。ふと、その光景を見て、僕はある惨事を思い出した。

それはパリ留学時代、僕が彼女のアパートの上の階に住み始めて間もない頃のこと。ある日学校で演奏会があり、携帯にクセナキスさんから留守電が入っていた。「あなたの部屋の階で、配線工事中にちょっとした火事があって、階段は電気つかないし、濡れているわ。でもあなたの部屋は大丈夫よ。それじゃまた明日ね。」
帰宅すると、想像以上の悲惨な状態だった。僕の部屋の扉が壊され、誰かが部屋に入った様子で、しかも部屋の電気もつかず、入り口付近の壁が黒いのだ。夜遅くなっていたが、僕を心配して起きていてくれた管理人さんが事情を説明してくれた。なんでも、作業員が誤って線を繋いだためにブレーカーが爆発し、消火器を探しても見つからなかったので、慌てて僕の部屋に入って水を汲んだらしい。(火はそれでも消えず、結局消防隊が駆けつけた。)僕の所有物は何一つ燃えなかったのが、不幸中の幸いというものの、それから数日間、僕は鍵のかからない部屋で、すすまみれの中寝るハメになった…。

それに比べれば何てことない、と開き直り、僕はベッドの埃を払い落として寝た。翌朝8時にインターフォンの音で目が覚めると、作業員たちが玄関の荷物を大部屋に運んでいた。今日で工事は終わるのか、と安心した矢先、今度は隣のオフィスにある家具を移動させ、棚に白い布をかぶせていた・・・床の工事は全ての部屋で行われるのだった。しかも、板張りの床を削る時の騒音がかなり激しく、コンサートがなければ耐えられただろうが、やはりここは自分のコンディションを整えることを優先しようと思い、週末までの2日間友人宅にお邪魔することにした。


7日のコンサートは、パリ10区にあるアルシペル(Archipel)という映画館で行われた。比較的小さめの場所で残響が殆どないので弾きにくかったが、主催者から会場にあったプログラムだといわれ、嬉しかった。
しかし、リハーサル後の調律で調律師さんが階段で転倒し、救急車で運ばれるというハプニングがあったため、高音部は調律されないまま本番を迎えた(実際そのことは後になって聞かされた)。

この日は、思いがけない方にお会いした。以前京都アカデミーでお世話になった森悠子先生が、お姉様といらしており、終演後お話をさせていただいた。先生によると、なんでもピアソラは有名になってからもこのような場所でよく弾いていたそうで、名声を得てからも客層を選ぶことのない精神が素晴らしいとおっしゃっていた。その他にも、先生が長年音楽を通じて人間形成することに従事されたとのお話を伺い、その強い信念に心打たれた。また、先生は世界中の音楽を純粋に愛する子供達を集めたオーケストラを指導するのが夢だ、とも仰っていた。先生が大切とされる勉強方法は、「研究−発見−実践」だそうだ。僕もこのことを胸に留めて音楽と接して行こうと思った。


11日は4区のサンルイ島にあるポーランド国立図書館で弾いた。こちらは場所にちなんで、ショパンをメインにしたプログラムにし、アンコールにもマズルカを弾いた。
拍手が続いたので、2曲目のアンコールを弾くことにしたのだが、ショパンはそれ以上用意していなかったので、「ここで日本の作曲家、武満徹の作品を弾きます」と言うと、思いがけず会場から拍手が沸いた。武満徹さんがいかにフランスで好まれているか、知ることのできる嬉しい瞬間だった。ついでに、9月に武満さんのピアノ作品集のCDが出ること、それを記念してコンサートをすることを紹介した。


11日の演奏会後、合わせをしたり、友人と会ったりして忙しかった。
14日はパリ郊外のジベルニー(Giverny)を半日観光した。モネの家、素敵な庭を散策し、絵画にも劣らぬ美しい世界にすっかり魅了された。
16日のプライベートコンサートでは、南アフリカ出身のフルート奏者とピエール・サンカンのソナチネ、フォーレのソナタを弾いた。サンカンは1960〜70年代パリ音楽院のピアノ教授として有名な方だった。今回初めて彼の作品を弾いたが、風変わりな、でもしゃれた和声の音楽で、とても面白かった。
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